注文番号:17119 (委託品)
刀:白鞘入り、拵え付き、箱付き(特別保存刀剣)(委託品)
銘:肥前国住武蔵大掾藤原忠広(初代)
新刀:最上作:最上大業物:肥前
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は 肥前国住武蔵大掾藤原忠広 としては上々作にランクされる作品です。
上研磨済み
はばき:銀一重
登録証番号:北海道482号
交付年月日:昭和24年6月7日
刃長:2尺4寸(72.7センチ)
反り:5分7厘 (1.73センチ)
目釘穴:2個
元幅:3.28センチ
先幅:2.57センチ
重ね:0.7センチ
時代:江戸時代寛永8-9年
体配:約1寸程の摺上げ区送の刀で、身幅が広く重ね厚く表裏の棒樋を彫り
切先が大きく延びた反りのやや深い体配の良い刀
地鉄:小板目肌の小杢目肌が混じり地錵がよく付き綺麗な肥前地金となる。
刃紋:錵出来直刃に小足が入り葉が働き、物打ち近辺から匂口の深い直刃に
刃縁柔らかく帽子尖りごころに丸く返る。
特徴:最上作で最上大業物に評価された肥前國忠吉は肥前長瀬村(現在の高瀬村)で
元亀三年(1572)に生まれ、橋本新左衛門と称し、元は武家であったとも言われる。
祖父は内蔵允盛弘といい竜造寺家に仕えたが、天正十二年(1584)島原で戦死。
父壱岐守道弘も祖父と同年に病歿す。忠吉は十三歳で長瀬村の
某鍛冶工(肥後同田貫善兵衛)の家に倚り刀剣鍛法に従事した。
慶長元年(1596)藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿門に入り、
忠吉は鍛刀を、宗長は彫刻を学んだ。慶長三年(1598)に帰国。
佐賀城下に転任し佐賀藩鍋島家の抱工として活躍した。
最初の年紀作は慶長五年(1600)二十九歳に始まる。
元和十年(1624)再び上京して同年二月三十日改元、
寛永元年(1624)五十三歳で武蔵大掾受領後に忠広と改銘。
同年帰国。寛永九年(1632)八月十五日六十一歳で没した。
初代忠吉は約三十年にわたって作刀したが駄作がなくどれも水準以上の出来が優れたものである。
本作は初代忠吉の武蔵大掾銘で技術が最も充実した新刀らしい水水しさを備えた作品で
健全であり刃中の働き横溢であり優れた作品であります。
初期は肥前国忠吉、肥前国住人忠吉作、武蔵大掾藤原忠広、肥前国住藤原忠広と
時代が下がるにしたがい銘が変遷していきます。
本作は多少の摺上げ、区送がありますが身幅が広く堂々とした作品です。
拵:
鍔:円形の赤銅鍔に耳を金色絵で覆輪する
縁頭:銀地で蛇の図柄を高彫りする。後藤清?
鞘:黒呂色鞘。
目貫:銀地で蛇の図柄を高彫りする。一方の目貫は不明
特別保存刀剣鑑定書
箱付き
葵美術評価鑑定書:全身押し形
価格:2,350,000円(消費税、送料共)
编号:17119 (委託品)
刀:原木色刀鞘入、附刀侟、附箱(特別保存刀剑)(委托品)
刀铭:肥前国住武蔵大掾藤原忠広(初代)
刀鋤材质:银一重
登录证编号:北海道482号
交付年月日:昭和24年6月7日
刃长:2尺4寸(72.7cm)
反:5分7厘 (1.73cm)
目钉穴:2个
元幅:3.28cm
先幅:2.57cm
元重:0.7cm
时代:江戸时代宽永8-9年
体配:约一寸程度的磨上区送处理,身幅宽,刀身厚重,表里雕刻棒樋,切先大且长,反稍深,刀姿优良。
地铁:小板目肌混小杢目肌,地沸附,形成绮丽的肥前地金。
刃文:沸出来直刃,小足叶入,物打近边气口深直刃,刃缘柔和,帽子尖丸返。
介绍:
被评价为最上作的最上大业物的肥前国忠吉,元龟3年(1572)生于肥前长濑村(现在的高濑村),称为桥本新左卫门,原本是武家,其祖父内藏允盛弘就仕于龙造寺家,天正12年(1584)在岛原之战中战死。其父壱岐守道弘于同年病逝,忠吉13岁时在长濑村某刀工(肥后同天贯善兵卫)家从事刀剑锻造,庆长元年(1596)受藩命与一门的宗长一起入京拜入埋忠明寿的门下学习锻刀知识。其中忠吉学习锻刀,宗长学习雕刻,庆长3年(1598)归国。成为佐贺藩锅岛家的藩工。最初作品是庆长5年(1600年)29岁时,元和10年(1624年)再度上京,同年3月30日改元宽永,在宽永元年53岁的时候受领武藏大掾一职后改铭为忠广。同年回国,宽永9年(1632)逝世,享年61岁。
初代忠吉作刀期前后大约持续30年,其刀作均质量上乘。本作是初代忠吉的武藏大掾铭时期作品,刀姿健全,刃中动作优美华丽。其刀铭随时间变迁经过多次修改,有:肥前国忠吉、肥前国住人忠吉作、武蔵大掾藤原忠广、肥前国住藤原忠广等
拵:
刀镡:圆形赤铜质地,耳上用金绘包裹。
缘头:银质,高彫蛇的图案,有铭:後藤清?
鞘:黑吕色鞘。
目贯:银质高彫蛇的图案,另一边目贯图案不明。
特別保存刀剑鉴定书
附箱子
葵美术评价鉴定书:全身押形
商品售价:2,350,000円
100%
好评率