ご注文番号:19356
刀:白鞘入り(特別保存刀剣)
銘:藤原清人作
田野辺先生鞘書:羽刕庄内藩藤原清人 生茎五字銘有之
文久三年頃の製作尚得意の乱れを焼き
申候 地刃共に同工の持ち味を存分に表示せり
長二尺四寸八分余有し 探山邉道識
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は藤原清人としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:75.5センチ
反り:1.5センチ
目釘穴:1個
元幅:3.21センチ
先幅:2.46センチ
重ね:0.8センチ
刀身重量:965グラム
時代:江戸時代末期文久3年頃
体配:身幅が広く重ね厚く長寸で反り適度に付き
切先が延び重量もほぼ1キロとなる豪壮な作品と云えます。
地鉄:小板目肌詰んで地錵が付き綺麗な地金となる。
刃紋:錵出来、匂口やや深めの
丸い互の目乱れとなり足良く入り刃中砂流、金筋が働く
特徴:清人は清麿の末弟子で、清麿一門では
筆頭とも言える実力を誇る著名な刀工である。
文政10年(1827) に出羽(現在の山形県鶴岡市)に生まれ、
嘉永5年(1852)より清麿に師事する。
師匠である清麿が数多くの注文を残して自殺した後、
清麿一門では筆頭であった清人は清麿が生前に受けた注文を
全てやり遂げ、清麿の妻子を養い、借財返済に貢献した。
義理人情に厚い性格であったと考えられる。
慶応3年(1867)に京都に上った清人は、
最高の栄誉となる「豊前守藤原清人」を受領する。
明治3年(1870)には明治天皇に献上する刀を鍛造しています。
明治34年没。
葵美術より一言:仁義に厚い清人は師匠の不義理を丁寧に詫びを入れて
自ら生前に約束をした師匠の注文を総てやり遂げ
清麿の妻子を養い借財返済に貢献したと云われております。
清麿の第一番の弟子で清麿の作品を手伝い、
あの最上級といわれた作品を製作し続けた刀工です。
相州伝の作品から直刃出来更に柾目出来の強い作品を製作しております。
柾目出来の作品はは出身が出羽の出身で仙台國包などの影響を強く受けて
製作したと考えられます。清麿は一切柾目出来の作品は製作していないが
清人は積極的に柾目で木の作品を製作している。
この事実は柾目出来の作品は切れ味に優れるという確信を持っていたと
考えられ更に故郷の柾目出来を好む侍や大名がいたと考えられます。
清人は師匠の清麿風の作品ばかりでなく色々な作品を手描けております。
大和伝、美濃伝等 特に柾目はだは定評が有ります。
清人の名を高めた大きな理由は人間としての思い遣り、正義感、
道徳観を完璧に備えていたと私は考えるのです。
仁義とは(人間の行動規範の根本として孔子の説く博愛を意味する「仁」に
正義を意味する「義」を合わせて最高の徳として孟子の説いたものである。
決してヤクザの挨拶という意味ではありません。
ウイキペディアより引用
時代背景:文久3年5月長州藩が下関で外国艦隊に砲撃を行う
薩英戦争が勃発 文久3年7月2日(1863年8月15日-17日)
薩摩藩とイギリスの間で行われた戦争
特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形
価格: 2,700,000円(消費税、送料共)
编号:19356
刀:白鞘入(特別保存刀剑)
刀铭:藤原清人作
田野边先生鞘书:羽刕庄内藩藤原清人 生茎五字銘有之
文久三年頃の製作尚得意の乱れを焼き
申候 地刃共に同工の持ち味を存分に表示せり
長二尺四寸八分余有し 探山邉道識
刀鋤材质:金着一重
刃长:75.5cm
反:1.5cm
目钉穴:1个
元幅:3.21cm
先幅:2.46cm
元重:0.8cm
刀身重量:965g
时代:江户时代末期文久3年左右
体配:身幅宽,元重厚,刀身长,反适度,切先长,刀姿豪壮。
地铁:小板目肌,地沸附,地金绮丽。
刃文:沸出来,气口深,丸互目乱,足良入,刃中砂流、金筋动。
介绍:清人是清磨的弟子,是清磨一门中的代表刀匠。文政10年(1827)生于出羽(现在的山形县鹤岗市),嘉永5年(1852)拜清磨为师,在清磨留下大量定制刀订单自杀后,他接手了这部分订单并赡养师母,是一位极为忠厚的刀匠。庆应3年(1867)其前往京都,受领“丰前守藤原清人”的称号。明治3年(1870)为明治天皇锻造了献上刀,逝世于明治34年。特別保存刀剑鉴定书
葵美术评价鉴定书:全身押形
售价: 2,700,000円
100%
好评率