ご注文番号:19277
刀:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣)
銘:水府住徳村徳勝應武田君好作之
慶應四年四月日
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は水府住徳村徳勝應としては上々作にランクされる作品です。
武田君好に徳勝が刀を製作を依頼した作品であるだけに丁寧に製作された作品です。
上研磨済み
はばき:銀一重
刃長:76.2センチ
反り:1.7センチ
目釘穴:1個
元幅:3.23センチ
先幅:2.32センチ
重ね:0.67センチ
刀身重量:975グラム
時代:慶応4年4月
体配:身幅が広く重ね厚く反りが深く付き
長寸で切先の延びた堂々とした作品
地鉄:柾目肌良く練れて地錵が付き精良な作品であります。
差表の刃区近辺から中程にかけて杢目肌と柾目肌が混じり先柾目肌となる。
裏面は柾目肌よく練れて地錵が付き綺麗ななさ目に地景が交じる。
鎬地:柾目肌よく練れて一部柾が強く働く
刃紋:錵出来直刃に小足が良く働き匂口柔らかく刃縁、柔かく働く
刃区よりかすかに5cm近く生刃が残る
帽子:丸く先やや尖りごころに返る。
特徴:水府住徳村徳勝應は文化六年1809)に江戸に生まれその後水戸藩士となる。
そのご徳宗の門で学び一時江戸に出て細川正義、運寿是一から鍛冶の秘伝を伝えられる。
文久末年(1864)から一門で江戸の水戸藩邸に移る。
作風は運寿是一に影響を強く受け、水戸藩の気質を反映したものが多い。
更に作風は徳宗の影響を強く受けて柾目出来の作風を製作する作品が
大いにはやり人気を得た所から徳勝は柾目出来に終始しこれを踏襲し成功を得た。
又水戸刀藩の気風からか、長さの長い身幅のある切先の長い作品を好んで製作した。
明治五年(1872)六十四歳で没した。本作は特色である柾目肌が良く出ており、
柾目に添う様に刃中にあらわれた幾筋もの砂流が見事である。
徳勝が武田君好が刀の製作を依頼した作品であるだけに丁寧に製作された作品です。
拵:
鍔:楕円形の鉄鍔に銀の縄模様で覆輪をほどこし、
鉄地に飛ぶ白鳥と沼に生える樹木を彫る。 保存会鑑定書政盧。
縁頭:鉄地に銀で花模様を象嵌する。
鞘:こげ茶色の黒の文様を描き上部は黒に刻みを入れる
目貫:銅地に素銅地で鬼の図柄を高彫りし金の色絵をほどこす。
葵美術より一言:水府住勝村徳勝は柾目出来の名人と言われ
恐らく当時仙台国包の影響をかなり受けていると考えられます。
柾目出来の作品は極めて難しく秘伝として製作され誰でも
出来る作品ではなく極めて難しい作品なのです。
この柾目出来は現在に継承され現代刀では法華三郎氏がこの
柾目出来の見事な作品を製作され無冠査刀匠として活躍されておられます。
柾目出来の作品をお求めになる愛刀家は多く、
なかなか市場には出てきません。
本作の徳勝は上々研磨がほどこされ肉置きが良こ明るく冴えた
武田君好の当時の高禄を食む侍の注文打ちの作品の名作です。
拵えも良く鍔は政盧となっておりいかにも慶応の頃の慌ただしい時代を
過ごした侍の持つ拵えと考えられます。
時代背景:慶応4年1月 戊辰戦争 慶応年明治元年明治2年(1868年1869年)は
王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩 長州藩。土佐藩らを中核とした
新政府軍と旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦名称は
慶応4年明治元年の千紙、支が戊辰である事に由来する、ウイキペディアより運用

戊辰戦争中の薩摩藩の藩士
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