ご注文番号:19078
刀:白鞘入り(特別保存刀剣)(委託品)
銘:筑前守信秀
慶応元年八月日
新々刀:上々作:武蔵
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は筑前守信秀としてはにランクされる作品です。
研磨済み
ハバキ:
刃長:66.7センチ
反り:1.2センチ
目釘穴:1個
元幅:3.23センチ
先幅:2.52センチ
重ね:0.64:センチ
時代:江戸時代末期
体配:身幅が広く重ね尋常な大切先の体配に表に
濃密な玉追い龍とその先に棒樋を彫り裏には棒樋を彫る。
地鉄:小板目肌よく練れて地錵が付き
地景が細かく入った肌目が見て取れる地金となる。
刃紋:錵出来互の目乱れ足長く刃先に達する。
刃中、砂流、金筋が盛んに働く。
帽子:乱れ込んで先尖って返る。
特徴:筑前守信秀は武蔵の刀工。文化十二年(1815)に越後で生まれ、
名を栗原謙司、のちに信孝という。生来は鏡師であったといわれる。
幕末の変動期に刀工に転じ、四谷正宗の異名を持つ幕末の名工源清麿門下で学んだ逸材である。
彫物も名手であった。元治元年(1864)から慶応四年(1868)まで
大坂で盛んに出征幕臣の需要に応え鍛刀したという。
慶應元年五月に筑前守を受領している。年紀から本作は受領直後の大阪での作となる。
明治ニ年(1869)には湊川神社に奉納する刀の作刀を明治天皇に命じられ、
明治六年(1873)にオーストリアのウイーンで開催された万国博覧会に出品する刀を製作している。
栗原信秀の作品は愛刀家に大切に愛蔵されているものが多く、市場に出る事はかなり稀である。
信秀は明治四年(1871)に故郷の三条に戻り、明治十三年(1880)に病没した。
一説によると師匠であった清麿と同様、彼もまた自刃したとも伝えられる。
葵美術より一言:将軍徳川慶喜が所有していたとされており、当時から実に評価されていた刀工です。
私見では刃紋の中に龍の爪がはいっており生の自身彫りと言えます。
龍の彫りは信秀の特徴を良く表し、彫りの切り口も良く鋭さがあります。
差裏に棒樋は掻き通しとなり差表の玉追龍の上部の樋と良くバランスが取れております。
慶応元年八月には本作と同様な龍の彫りが龍頭を正面から
正視した様な彫口を制作した作品と全く同様な彫りですので
間違いなく彫り同作と考えられます。
刃紋は清麿に酷似しており刃中の砂流、金筋が良く現れております。
できたら再度将来研磨されますと一層精彩が上がり
刃中に金筋などが良く現れるでしょう。
なお同じ慶応元年8月日に制作された同様な作品は重要刀剣に指定されております。
是非皆様気張ってご購入ください
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